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第1話 「無尽蔵」について

体の免疫だけに注目し、気をつけてもなかなか病気を治めることが難しいと思い始めて20年ぐらい過ぎた。
心の免疫が必要である事に御同意くださる方も多いと思うし、殆んどの方が体と心は一体であると思っていらっしゃると思う。
このシリーズでは、その「心」とは何なのか、「心」はどこにあるのか、「心」を左右するものはあるのか、あるとしたら何なのか、考えてみたいと思う。

「心」を科学的に証明する事はあり得ないであろう。しかし科学的に証明されないからと言って存在しないということでもないし、むしろ実験によってその存在が確認されるようなものであれば、さほどのものではないであろう。「気」も同じである。「気」は見えないからおもしろいのである。「愛」というのも又目に見えない世界である。「信」についても同じだ。しかし「信」も又確実に存在する。だからこそ、信仰の為に命を賭ける人も多くいる訳である。

人生には幾つかの転機というものがあるらしい。私にとっても思い起こせば3つぐらいの転機と思える出会いなり縁がある。「心」というものについて、その転機となる言葉を聴いたのは今から15年前である。

その言葉とは「無尽蔵」である。無尽蔵とは「心」の中にある蔵のことである。名の如く、この蔵には、何でもかんでも見たもの聞いたもの、触ったもの感じたこと、経験した事は全て入るらしい。良いことも悪いこともである。入るどころではなく、無尽蔵は強力な吸引力を持つ掃除機のようなものであるらしく、何でもかんでも吸い込むが如く入ってしまうし、又入れてしまうらしい。
30年生きている方は、その人の30年分の全て、50年生きている人の無尽蔵にはその人の50年の全てが入っているようである。
それが心の中にある無尽蔵という蔵だそうである。そしてそれは、もちろん全ての人の心の中に存在するものである。

ここで我々の日々の生活を改めて振り返ってみよう。
我々の1日は、すべからく全て選択と決定、それに基づく行動から成り立っている。
朝目が醒める。何を着るか、何を食べるか、何時に家を出るか、いつもの時刻に出るか、少し遅く出るか、仕事場に着いたら何をまず最初にやるか、誰の電話を優先的にかけるか、この仕事は午後に廻すか否か、お昼は何を食べるか・・・・ 仕事が終わって家に帰りついたとする。風呂を先にするか、食事を先にするか? 風呂に入ったら入ったで右手から洗うか、左足から洗うか、風呂から上がったら上がったでパンツを先にはくか、シャツを着るか? よくよく考えてみると全てが選択なのである。恐らくその大半が反射的に瞬間的に判断し選択しているので改めて「選択」と言われても、ピンと来ないかもしれないが、分析してみると正に選択しているのである。この反射的、瞬間的に行う選択の根拠は何なのであろうか?
実はこの根拠となるものが「無尽蔵」なのである。
先程、この無尽蔵にはこれまで生きて来たこと全て、見たもの聞いたこと、経験したこと、良いことも悪いものも全て入っているのである。我々はそれを元に判断し選択決定し、行動しているのである。
最近、切れる子供が多いという。子供もすぐに暴力をふるい、時には刃物まで持ち出す事件もあると言う。実はこれも無尽蔵の為であり、成せるわざなのである。毎日、毎日ゲームで相手を殴ったり、蹴ったり、時には敵を殺したり、このような状況下のゲームに没頭したりしていると、そのゲーム経験の全てが無尽蔵に入り、実生活で何かおもしろくないことがあったりすると、その場での判断選択にゲームでの手段、対応過程がそのまま出て来てしまうのである。多分、子供のことである。熟慮に熟慮を重ねて行動に及んだのではなかろう。
仮に熟慮に熟慮を重ねて選択したとしよう。しかし、そうであったとしても、所詮、我々は自分が経験し得たこと以外にその判断を委ねることはない訳で、人に意見を聞こうが、人に相談しようが、聞いたこと、相談したことが全て経験であり無尽蔵に入る訳であるから、この無尽蔵が全ての根拠になっていることがおわかりいただけると思う。

選択の根拠が無尽蔵と申し上げたが、もっと拡大解釈すれば選択にまつわる判断も又どう認識したかという意識も全て無尽蔵が元ということになる。どう認識するかまで無尽蔵がかかわっているとしたら、その人の常識もすなわち無尽蔵そのものであり、ひいては無尽蔵=その人の性格、人格ということになる。確かに30年生きていれば30年分、50年生きていれば50年分その人の見たこと、聞いたこと、経験したこと、それが物事と判断となり、常識になっている訳で、又その30年、50年の経緯の中でその人の性格、人格は形成されたことに間違いないのである。

さてその無尽蔵に我々は何を入れて来たのであろう。
入れたことについては、恐らくは全く無意識であり、それ故、良いものを入れたとも、悪いものをいれたとも全く認識はないのであろう。とにかく無尽蔵という心の中の蔵の存在に気付かずきた訳であるから認識がなかったことについてはしかたがないであろう。
無尽蔵という蔵の方で勝手に入れていると言ってもよかろう。それを先程、私はこの蔵は掃除機のように何でも吸い込むと表現した訳である。しかも良いことも悪いこともである。

今までの内容で少し心の中に存在する蔵「無尽蔵」について御理解いただけたのではなかろうか。
そしてこの無尽蔵という蔵のすごさ、恐ろしさも少々感じとっていただければ幸いである。