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第5話 「無尽蔵」から「捨受」へ

我々は、自らに訪れるいろいろな出来事をどのような感情で受け止めているのだろう。
「苦しい」「楽しい」「悲しい」「喜ばしい」「心配だ」様々な感情で受け止めているはずである。
釈尊(お釈迦様)は、その教えの中で「我々は、五感によって物事を受け止めている訳であるが、その時に五つの受け止め方をしている。」と説いている。これを「五感・五受」と言う。
五感は、もうご存知の通り、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚である。
五受とは、「憂」「喜」「苦」「楽」「捨」の五つの感情である。
憂、喜、苦、楽、までは説明の必要はないであろう。問題は「捨」である。
これはどういう感情なのだろう。どういう受け止め方なのであろう。
釈尊は、続いてこのように捨受のことを説明している。
「捨受とは即ち、感情をおさえて、静かに物事を見る、受け止める心である。」
もちろん釈尊は、具体的な説明などしていない。
これを私は次のように解釈している。

Aさんが、ビジネスで大成功したとしよう。もちろん、それは嬉しいことであるから、その受け止め方は「喜受」である。しかしAさんは考えた。
「今回の成功は、本当に自分の力なのであろうか?よく考えてみると、あの人にも、更にあの人にも大変お世話になった。そしてこの人には助けられた。
しかもあの時のことは、正に幸運としか言いようがない。あんなチャンスは二度とないかもしれない。人にも天にも助けられた。本当にありがたいものだ。」
こう考えたAさんは恐らく、次のビジネスにはより慎重になって、手堅く今後も仕事をされるであろう。
Aさんのよく考えてみるとの部分、喜びという感情を少しおさえ、静かに今回の成功を受け止めてみる。これが「捨受」という受け止め方なのであろう。
ただ、ただ成功を大喜びし、行け行けドンドンで次のビジネスを考えると、「柳の下に2匹のどじょうはいなかった。」という結果になるのであろう。

諸々の災難、病気も同じ事が言えるのではなかろうか。
病気になった人が「何で自分だけこんな病気になったのだろう。」と苦しい思いで受け止める(苦受)だけでなく、「今、私がこのような病気になることは、お天道様がこのことで何かを私に気付かせようとしているのかな?よくよく考えてみると、病気になる原因は自分にあったし、又、何よりも、病気になったことでたくさんの人とも縁を頂いた。これはありがたいことだ。」……と、少し苦しい感情、思いをおさえて受け止めてみると、その後の状況は変わってくるのではなかろうか。

私なりに、例をあげてご説明申し上げたが、この「捨受」の言わんとするところを御理解頂ければ幸いである。
そして、その人の心の蔵「無尽蔵」に入っているものによっては、この「捨受」という受け止め方が出来るのである。
無尽蔵によいものを入れておくと、自ずと「捨受」の受け止め方になるのである。