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第8話 釈尊の教えに学ぶ

私は、縁があって、約15年前、現在の薬師寺管主、山田法胤僧侶の法話を拝聴した。
当時、私は、「心の免疫」が何であるかについて考えあぐんでいた。
そこへ、小生のかみさんが、考え込むより、山田法胤さんの法話を聞いてみたらと連れていってくれたのである。
後に、私は、山田法胤氏の「釈尊の生涯」という連続講座を拝聴させていただくことになるのであるが、毎回拝聴することはできず、山田法胤氏にお願いをし、その講座の録音MDを貸していただき、今までに3廻り拝聴し、自主学習させていただいた。
要点を記した書物であれば、拝読するのに、そんなに時間はかからないのであるが、何せ録音MDであるから、そのまま最初から最後まで聞かなくてはならないという苦労はあったが、今から考えると、そのおかげで、山田法胤氏の講座がより理解できたのではないかと思っている。

仏教用語に「面授」という言葉がある。この言葉の意味は、「大事な事は、人から人へしか伝わらない。」ということである。
以前、法隆寺に佐々木法胤という高僧がいらっしゃったそうで、お経が覚えられず、修行から脱落しそうになった入門したての学僧に「黙って3年聞け。そうすれば煙草の臭いが衣服に染み込むように自らの体にお経が入ってくるものだ。」とおっしゃったそうである。
この浸み込むことを「薫重」(くんじゅう)というが、「お経を経典で覚えることは無理であり、唱えるお経のただただ肉声を3年黙って聞け」とおっしゃっているのである。
私の場合も録音MDをそのまま聴くわけであるから時間はかかるが、肉声で3廻り拝聴させていただいたことが、「釈尊の生涯」という講座をよりよく理解し、「心の免疫」についてのヒントが得られたように思えてならない。

釈尊ってどんな人?

心の免疫に入る前に講座から得たことに少し触れておきたいと思う。私の釈尊に対する印象は、かなりのマイナス思考の人であったということである。
「かなり」と言うより「相当」の、いや、「最強」のマイナスシンキングの人である。

まず「生、老、病、死」を四苦。更に「愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦」の四苦を加え、生きる事は四苦八苦としている。
又、
この世の全ての事象が、「因と縁」によって起こる「」の姿と説いている。「諸行無常」、確かにそうかもしれないが「全てをの姿」と言っては身も蓋もない。 さらに
生きることは、この世は「一切皆苦」と説いている。ただし、ここで説いている「苦」とは、痛みがあって苦しいとか、貧困で苦しいとか、そういったことを意味する「苦」ではない。
例えば、お金があっても苦からは逃れられないと言っているのである。
ある人が土地を買ったとする。買った翌日から値下がりはしないか否かと気にしながら生きていくであろうし、またこの土地だけは絶対に誰々には相続させたくない、と思うかもしれない。そういった意味での「苦」である。
また、別の次元で考えると、あの超優良企業であるトヨタ自動車だって「苦」の象徴のようなものである。なぜなら、車を売り続けなければならないからである。中国での販売が落ち込めば、北米かどこかでその分を取り返さなければならないし、タイの工場が洪水で操業を停止すれば、又、震災等の災害で部品メーカーのネジが1本だけでもそろわなければ、車はつくれないのである。工場から絶え間なく流れ出てくる車をどこかで売ってこなければならず、そうかといって、やめることも一切できないのである。これは正しく苦である。

このような、ネガティブシンキングを持った釈尊は、29才の時、宮殿や地位や名誉も、そして妻も子も捨て、本当にこの世は苦なのか?本当に生きるという事は苦なのか?そんな答えのない問いに、自らの生涯をかけて、旅に出るのである。
老、病、死から逃れられない自分、諸行無常を認め一切皆苦から逃れられない自分が、それでもなお、豊かに生きていくことができるのであろうか?
その問いに答えを求め、釈尊の生涯は、人間探求の旅であったと言うことが出来る。
絶望的でありながら、同時に希望を感じさせるものを見出していく、それが釈尊の旅の原点であった。
そして釈尊はそれを見つけるのである。それが「悟り」である。その悟りというものが何であるかは別として、間違いなく釈尊はその答えを見つけ、どん底のマイナス思考から究極のプラス思考でこの世を去った人間だからこそ、2000年後の今も、多くの人々は釈尊の生涯に熱い思いを寄せるのである。

苦行は解脱に至らず

釈尊は苦行を6年で中止している。苦行とは欲望の原因である肉体を、極限まで抑制して、自己を調整することによって自由な境地を得ようとするものである。釈尊の苦行の内容は凄惨のものであったと記されている。1日に米1粒、また胡麻1粒だけで過ごすという、まさに身を削るような断食行であった。しかし6年を経て釈尊は苦行が決して解脱の道ではないと考えたのである。肉体が衰えることで、様々な欲望から離れることはできるが、静かに瞑想し真理を見極める心も、体と共に衰えてしまうという結論に達するのである。
それ故釈尊が苦行林を下った時は、まだ悟りの境地に至っていないものと私は解釈している。

釈尊が「悟り」をひらかれたきっかけとなったものは?

釈尊は先のような苦行を6年も続けられたわけであるから、山のふもとにたどり着いた時は、姿や顔も憔悴を窮め、皮膚は土色で、苔が生えたようにカサカサで、体も骨と皮ばかりとなり、まるで枯れ枝のようであったと経典は語っている。
では、釈尊はいつ悟りを開かれたのであろう。

1. きっかけ、その1.

「娘、スジャータとの出会い。」

苦行林を下り、釈尊はふもとの尼連禅河で沐浴され、たまりにたまった垢を流されるのであるが、これは今までの行を捨て、この道との別れを意味するものであったとされている。心身のわだかまりをきれいさっぱり洗い清められたのであるが、あまりにも痩せ衰えられた御身体は、岸に上がられる力もなく、ただ流れに身を委ねられるばかりであったと資料に記されている。
何とか、岸辺にたどり着いて行き倒れておられるところを、スジャータという娘が通りかかるのである。スジャータは憔悴しきってはいるものの、なんとも神々しい釈尊の姿に深く崇敬の念を生じ、持っていた乳粥の鉢を供養します。この供養によって釈尊は気力、体力を回復され、新たなる修行へと入られるのである。
このスジャータの話は、釈尊の悟りを開くきっかけの1つとして有名な場面であり、ご存知の方も多いかと思うが、もう1つ釈尊が行き倒れていたときにおとずれたきっかけが資料に記されている。

2.きっかけその2.

「村の祭りのお囃子、歌声」

釈尊が尼連禅河のほとりで身を休めていると遠くからスジャータの住む村の祭りの歌声が聞こえてくるのである。その歌声の内容は次のようなものであったと記されている。

「弦が強けりゃや強くて鳴らぬ。弦が弱ければ、弱くて鳴らぬ。緩急自在に調子を合わせ踊れや踊れ、リズムにのって…」

そして釈尊は、弦が強く張られていることを「苦行を行っている自分自身」と、また弦が弱く張られていることを「王子として過ごしたカピラの宮殿での自分自身」に置きかえるのである。

四苦と言った「生、老、病、死」にもがあり、この世は「諸行無常ですべて仮りの姿」といえども、その根本である「因と縁」がいかにありがたいものか、「一切皆苦」と言いながらも、そこそこ生かされている今の生活がいかにありがたいものか。
そういった究極のマイナス思考から発してはじめてたどり着く感性は心も体と共に衰える苦行からは得られない。ましてや、宮殿での世を厭う事こともない贅沢な生活の中からは得られない。まさに日常の実生活の中にその気づきの糸口があると悟るのである。だから釈尊は、折角の「勤苦6年」と言われる長い苦行も未練なく捨てるのである。
言い換えると、釈尊は、いかに「感」の字が大切であるかを言いたかったのではなかろうか?「感動」「感激」そして「感謝」…
だから釈尊はどん底のマイナス思考から究極のプラス思考でこの世を去ることが出来たのであろう。

「感」の字こそ「心の免疫」

感動とは、心が動き、体も動くことである。動くとさっきまでの世界と別の世界が見えてくるし、視野は鳥の目となり虫の目になる。又、たくさんの縁と出会うことができるのである。

感謝の代表は「ありがとう」である。ありがとうは全てを肯定する言葉である。「ありがとう」は感謝やお礼の気持ちを表す言葉であるが、更に深い意味を言うなら、「全てを受け止める。受け入れる。絶対肯定」の言葉なのである。
私は毎月、秋田は玉川温泉に出かける。その時は必ず新幹線に乗るわけであるが、その都度、感動されることがある。それはクリーンスタッフというか、車内清掃をする人たちの言葉である。東京駅に新幹線が到着すると、彼らはすぐに乗降口に立って袋を開き、降りてくる乗客のゴミを受け取るわけだが、その時に彼らは「ありがとうございます」と言っているのである。ゴミを受け取って「ありがとう」。諸外国にこんな文化は無い。
間違いなく日本特有の美しい文化である。釈尊が誕生したインドにも、その教えを日本に伝える橋渡しとなった玄奘三蔵が生まれた中国にも、そういった文化はない。
しかし、実際悪い出来事や病気を「ありがとう」と受け止めることは並大抵のことではないし、ほとんど不可能に近い。しかし釈尊は、そのマイナスの思考のどん底から究極のプラス思考に転ずる糸口が誰にも平等にしかもその日常の生活の中にあるということを言いたかったのではなかろうか?

「心の免疫」のスイッチは「縁」

我々は生まれてこのかた「死」に向かって旅をしている、と言った人がいる。文字通りに解釈すれば、釈尊の得「諸行無常」「一切皆苦」である。そしてこの流れの方向を変える事はできない。
しかし、私の周りには、病気という縁をもらいながらも、又、一方で病気になったが故に出会ったたくさんの人々からエネルギーをもらい、またエネルギーを与え、病気を克服していった人が大勢いる。それぞれの縁に感動があり、閉じた心が開き、「自分1人ではくじけてしまうが、皆とだったら頑張れる」と言った人も多い。

そういう縁というスイッチが元で動いた心、感動、感激、感謝の中で我々は死んでいくのである。

「人は死ぬのではない。」「人は死んでいく」のである。

死が問題なのではなく、死に至る過程が問題なのである。しかしその過程は自らの演出でいかようにも変えられるし、そのヒントもスイッチも、特別な修行の中にではなく、日常の中にあることを釈尊は言いたかったのだろう。坂本龍馬の語録に次のような一説があるそうである。
「人生は一場の芝居と言うが、人生と芝居が違う点が1つだけある。芝居の役者の場合、舞台は他人が作ってくれる。しかし、他人が舞台を作ってくれる人生などない。」

実りある「下山」

われわれは、母親の体内で十月十日を過ごす。お産という瞬間に生まれるのではなく、十月十日かけて生まれてくるのである。成長という過程は、登山に例えると、頂上を目指しての登り坂である。しかし登山と言うのは下山を含めて初めて登山と言えるのではなかろうか?
頂上を目指しているときは、空と頂上しか見えない。しかし広大な麓や裾野の風景は、下山をすることではじめて見えて来るものである。
私は徹頭徹尾、物事全てに「光」と「影」があると申し上げてきた。「死」にも「光」がある。ただなかなか死に光が見い出せないのである。
しかし、「死」を単に「死ぬ」ではなく、「死んでいく」それを登山の「下山」さらに「実りある下山」と置き換えていただければプラス思考で物事を捉えていくヒントを少し御理解してもらえるのではなかろうか?
下山の時にしか見えない風景、それもすばらしい風景があるのであれば「老い」も悪くないではないか、と言うことである。
「悟り」と言うとハードルが高い。それこそ釈尊や、高僧の方が修行を重ねて得られる境地のように思える。しかし釈尊は「悟り」とは「気付き」のことで、「日常の中にそのヒントはいくらでもありますよ。日常生活に目を向けなさい。気づくとすなわち「転依(てんね)」、依りどころが転じ、考え方、受けとめ方が変わりますよ。気づくことが「真理」に近づくことであり、気づきの積み重ねがすなわち悟りそのものなのですよ。」
そうおっしゃっているように思えてならないのである。そして「その気づきは、全て縁によってもたらされるものなのですよ。」とおっしゃっているように思えてならない。

そうすると、「心が解ける」のである。固く結ばれた糸も結び目が解かれ、糸は自由になるのである。諸々の心の束縛が解け、目から鱗のように、考え方も受け止め方も変わるのである。
実は、「佛(ほとけ)」の語源は「解ける(ほどける)」なのである。薬師寺の山田法胤管主がよくおっしゃる格言である。
「右は極楽、左は地獄、心1つが道しるべ」
心と体はまさに一体である。心の動きは必ず、また確実に、体の免疫力に影響する。

最後にもう一つ、山田法胤管主の格言をご紹介してこの原稿を終わりにしたいと思う。
「耳は聞きよう、目は見よう、全て己の心から生ず」

合掌