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第9話 形が心を守る

今年も奈良・薬師寺に表敬訪問に出かけた。正確には、現・山田法胤管長への表敬訪問である。総勢75名のご参加を得ての表敬訪問であったが、その大半は、当院に通院されている方々と秋田は玉川温泉で湯治されている、いわゆる玉友の方々である。ほとんどが、それなりにご病気をお持ちの方々である。

私は、今年は3回、山田法胤管長と講演させていただくことになっている。私は医者なので「体の免疫」を、管長には「心の免疫」のお話をお願い申し上げるわけであるが、管長はいつもボランティアでこの講演会に来て下さるのである。だから、皆さん方に「年に1度は、感謝の気持ちを込めて、こちらから管長を奈良におたずねし、表敬訪問に行こうよ」という呼びかけがきっかけで、今回は第3回目の表敬訪問となった次第である。
もちろん最大の目的は管長に対しての感謝の意をこめての表敬訪問であるが、実はもう1つ大事な目的がある。
それは、1300年の歴史を有する白鳳伽藍の中に我が身を置き、1300年前の人たちが立ったこの地に足をつけ、1300年前の人たちが仰ぎ見た同じ空を見上げ、謙虚な気持ちで自らと向き合おうということである。
「自らと向き合う」「自らが抱える諸問題・諸課題をどう受け止めていくのか」別に奈良・薬師寺をたずねなくても出来るのかもしれないが、私は、そう簡単に向き合えるものでは無いと感じている。日々の慌ただしい生活の中で集中して向き合うとしたらそれなりの形が必要なのである。私はよく皆さん方にお写経を勧めてきた。
人生の中にはよきせぬ出来事がたくさん起きるものである。災い、自然災害、厄介な事、思いがけずして起きることも多い。何か起きると、我々はその原因を外に求めることが多い。
社会が悪い、行政が悪い、あいつが悪い、…等である。そして、その解決策も外に求めることが多い。行政が何とかしてくれるだろう。親が何とかしてくれるだろう。医者が、薬が何とかしてくれるであろう。…等である。
確かに我々の身体、目も口も鼻も耳も外向きである。その「外」に向いている針を「内」に向けてくれるのがお写経であると私は思っている。お写経をやっていると「夢中」になり、そして「無」になっていく。「無」になってはじめて正直に自分と向き合えるのである。お写経も言ってみれば1つの形である。

私は広島出身で被爆2世である。両親とも、原爆ドームから1km以内の被爆で、高校3年までは、毎年8月6日の平和記念式典には出席をしていた。今でも、帰省した折に平和記念公園に行くことがある。今年は被爆後70年という節目の年でもある。
しかしどうやら人間というものは、幸せに慣れてしまう生き物のようで、「真の平和」というもののありがたさを、日常思いおこすことも少ないのではなかろうか? 年月が経ていけばいくほど、過去の悲劇も教訓も遠くなっていく。
慰霊碑の前に立てば、その向こうに原爆ドームが見える。むき出しになったドームの鉄骨が語りかけてくる。どんなに年月を経ても弱々しい声ではなくはっきりと我々に平和のありがたさを語りかけてくる。その語りかけてくる中に、戦争に対する怨みは感じられない。
誰が原爆を投下したのか、させたのか、多分ドームは相手のことを恨み、その気持ちを訪れる人々に伝えようとしているのではない。真に「罪」だけを憎み、ただ、ただ悲劇が繰り返されないことを語っているのである。私も常に平和を願っている。しかし、原爆ドームの前に立つときの自分は明らかに違う。残念ではあるが、ドームの前に立った時にしか、真に「平和」という課題と向き合っていないのであろう。

もはや、日本人のほとんどが戦後生まれである。しかしながら戦争を知らないのであれば知らぬなりに平和のありがたさを学ばなくてはならないはずである。だからこそ、ドームと言う生き証人の所へ出向き、ドームの声に耳を傾ける必要があるのだと思う。
いろいろな形が我々の心を守ってくれている。正直言って、原爆ドームの前に立つのは、今は1年に1回ぐらいである。しかし、この1回は心底自分に正直である謙虚な自分である。

年に1度、薬師寺に表敬訪問にうかがう。今回最もありがたく、また驚かされたことは、毎年お声掛けしている人たちの中に「去年行ったので」、また新しくお声掛けした人たちの中に「薬師寺には行ったことがあるから」とお断りになった人がいなかったことである。
原爆ドームも語り部であるが、伽藍も語り部である。
釈尊、そして玄奘三蔵、さらにはそれを日本に伝えた道昭、先人たちのそれこそ「凄さ」に触れることが出来る場なのである。あまりにも「すごい」ので自らが謙虚にならざるを得なくなり、それゆえに正直に自らと向き合うことができるのである。
肝心なのは「心」だよ。「形」ではないよ、「心」だよ。と言う人もいらっしゃるかもしれない。しかし、「心」も「形」も両方大切なのである。